世界のミュージックヒット曲

世界のヒット曲を紹介。また、日本の誇るゲーム音楽なども紹介。ジャンルは様々!

感動ミュージック紹介 シックスペンス・ノン・ザ・リッチャー

シックスペンス・ノン・ザ・リッチャー Sixpence None the Richer


アメリカのロックバンド。テキサス州ニューブラウンフェルスで結成されたが、後にテネシー州ナッシュヴィルへ移動した。バンド名は、C・S・ルイスの著書Mere Christianityに由来している。
バンド名は、『ナルニア国物語』の作者としても知られるC・S・ルイスが、その著書『キリスト教の精髄』(“Mere Christianity”)の中で用いた例え話に由来している。小さな子供が、父親の誕生日プレゼントを買うために、父親に6ペンス(シックスペンス)のお金を求める。父親は子供にお金を与えて、そのプレゼントに喜ぶが、それによって父親が6ペンス分の得をしたわけではない。これは、キリスト教における神と人との関係を説明するためにルイスが用いた例え話であるが、バンド名がこの一節に由来することを、ナッシュがレイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマンで語っている。
このバンドの起源は、1990年代初頭、ギタリスト兼ソングライターのマット・スローカムが、教会のリトリート(retreat; 清修)で歌手リー・ナッシュに出会ったことにさかのぼる。彼らはデモを録音し(このときの録音は『The Original Demos』として出回っている)、1993年にR.E.X.レコーズから1stアルバム『The Fatherless and the Widow』をリリースした。このアルバムには、スローカムのバンド、ラヴ・コーマのドラマーのクリス・ドッズが参加している。『The Fatherless and the Widow』発表直後、スローカムはシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーに全力を注ぐべくラヴ・コーマを脱退した。1995年のアルバム『This Beautiful Mess』を出す時には、ギタリストとしてテス・ワイリーを、ベーシストとしてJ.J.プラセンシオを、ドラマーとしてデイル・ベイカーをそれぞれ迎えている。どちらのアルバムもプロデューサーはアーマンド・ジョン・ペトリだった。
1997年にはスティーヴ・テイラーのスクイント・エンターテイメントと契約し、アルバム『Sixpence None the Richer』を出して徐々に幅広いファンを獲得した。この後、1999年にシングル「Kiss Me」をリリースして、一躍全米の脚光を浴びた。グラミー賞にノミネートされ、カナダやイギリスや日本やオーストラリアやイスラエルなど10カ国で放送回数第一位を記録(日本では「Kiss Me」の日本語版もリリースした)。この曲は『シーズ・オール・ザット』などの映画や、『ドーソンズ・クリーク』『サタデー・ナイト・ライブ』などのテレビ番組にも登場し、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの代表作となった。
しかし、大ヒットを記録したことによるCDセールスへのプレッシャーと、自分たちのやりたいこととのギャップに悩むようになり、2004年2月6日に解散を発表。
スローカムは新しいバンド、アストロノート・プッシャーズを始めた。ナッシュは2005年の秋にソロアルバムの録音に入り、2006年8月に『Blue on Blue』をリリースした後は母親業に専念。
2007年11月、活動再開。EP『My Dear Machine』をリリース。また、2008年 のアメリカ・ヨーロッパの夏のツアーの日程を発表。
2008年10月、グループ初のクリスマスアルバム『The Dawn of Grace』をリリース。リー・ナッシュ曰く「シックスペンスのファンはずっとクリスマスアルバムを待ち望んでいたわ。それは、私たちがいつもやりたかったことだけど、どういうわけかチャンスが無くてできなかったの。 今、私たちは復帰して、このクリスマスアルバムは、長い間サポートしてくれるファンへのいいクリスマスプレゼントになるんじゃないかって考えたの。私たちはとても気に入っているし、みんなも気に入ってくれるといいな。」
2008年12月、『Love Come Down Christmas 2008 ツアー』開始。





 

感動ミュージック紹介 エクストリーム

エクストリーム Extreme


1985年に結成されたアメリカのロックバンド。
1985年にドリームというバンドにいたゲイリー・シェローンとポール・ギアリーがヌーノ・ベッテンコートを勧誘し加入させ、バンド名をエクストリームに改め活動を開始する。その後1986年とその翌年の1987年と2年連続でボストン・ミュージック・アワードの最優秀ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・アクトを受賞し、89年5月アルバム『エクストリーム』でデビューする。エクストリームで一番の代表曲は "More Than Words"で、バンドはこの曲でBillboard's Hot 100にて全米1位に耀いている。
前述の通り、このアコースティック・バラード・ソングである"More Than Words"が特に有名だが、基本的にバンドのサウンドはハードロックを基調としながらも、16ビートを刻むファンクの要素を取り入れた楽曲が主。 ファンク・メタルという新たなカテゴリーに括られることも多くそれはレーベル名とも成った。 テクニカルなヌーノのギターから繰り出されるリズミカルかつメロディアスなサウンドと、シェローンのパワフルなヴォーカルスタイルが特徴的である。






 

感動ミュージック紹介 ボン・ジョヴィ

ボン・ジョヴィ Bon Jovi


アメリカ合衆国のロックバンド。
1984年デビュー。1986年発表の3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(原題:Slippery When Wet)がBillboard 200で8週連続1位を獲得し[1]、シングル「禁じられた愛」(You Give Love A Bad Name)、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' On A Prayer)もBillboard Hot 100で1位となって一躍有名となる[2]。さらに、1988年発表の4thアルバム『ニュージャージー』もBillboard 200で4週連続1位[1]、シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)、「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位となり[2]、人気を不動のものとした。
日本では1984年8月にロック・フェスティバル『SUPER ROCK '84 IN JAPAN』出演のために初来日し、熱烈な歓迎を受けた。初のゴールドディスク獲得や単独公演は日本で経験しており、バンドとの縁が深い国となっている。1989年にはアルバム「ニュージャージー」が第3回日本ゴールドディスク大賞「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)となり、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[3]。2003年には日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催している。
2004年にはアメリカン・ミュージック・アワードから「功労賞」を受賞されており[4]、2006年には「UK音楽の殿堂」入りをしている[5]。2007年にはジェニファー・ネトルズとデュエットした「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」(Who Says You Can't Go Home)で第49回グラミー賞「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞[6]。2009年にはジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラが、ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りをしている[7][8]。
世界各国で開催しているライヴは、2008年の『Lost Highway Tour』、2010年の『The Circle Tour』、2013年の『Because We Can: The Tour』が、その年最も収益をあげたツアーに選ばれている[9][10][11]。
トータルセールスは、1億2,000万枚以上と言われている

 
 
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